Sunday 20 August 2023

鶴舞公園と名古屋の近代化

 本ブログは、私が書いた本から派生して生まれたものです。書名は次のとおりです。本を書くに際して、多くの写真や絵葉書を見る機会があり、それを本にも170枚余り挿入しましたが、入りきらないものも出てきました。同時に、アマゾン本は白黒本で、カラー印刷ではないので、絵葉書の色合いが出せません。そこで、このブログを新たに開き、皆さんに写真を公開するものです。解説はありませんので、是非、私のアマゾン本をご購入いただきたく存じます。

舞公園と名古屋の近代化  明治殖産興業の集大成となる博覧会会場  愛川 今生 著 アマゾン・ペーパバック

まえがき

私は名古屋生まれである。そして、鶴舞育ちである。幼稚園はもうなくなったが、中央線沿いにあった鶴舞幼稚園だ。跳び回っていた小学生のころは、いつも鶴舞公園で遊んでいた。夏になると、蝉取りもトンボ取りも鶴舞公園だった。どんぐりも拾った。今でも、どんぐりの木がどこにあるかわかる。

 そんな私だが、鶴舞公園の歴史についてはあまり知らなかった。かつてここで博覧会があったとか、動物園があったという話を聞いた程度である。そこで今回、鶴舞公園がどのような経緯で誕生したかを調べてみた。そうしたら、予想もしなかった事実がいっぱい出てきた。大博覧会が開催されていたのだ。明治における殖産興業の集大成ともいうべき「第十回関西府県連合共進会」が明治43年に鶴舞公園で催されたのだ。「関西府県」とあるから、一地域の博覧会かと思ってしまうが、そうではない。全国的なもので、台湾からの出品もあった。この共進会が大きな起爆剤となって、名古屋が産業および経済面で大きく発展する。ものづくり愛知の基盤を築いた博覧会である。本書は鶴舞公園の誕生について語るものであるが、その大部分がこの博覧会の話である。内容を見ていただければ、それが鶴舞公園にとって、ひいては名古屋にとってどれだけ重要なものだったかが理解していただけると思う。

 各地域の産業を紹介するというだけでは、だれも見に来ない。そこで、客寄せのためのいろいろな見せ物や催し物が行われた。これがとてもおもしろく、私たちの興味をそそる。我らが若き江戸川乱歩も、これに感動した。このため、この本はそんな各種小屋の話が出てくる後半が読みがいがある。前半はかなり堅い内容なので、それを補う意味もあって約170枚の写真を組み込んだ。ぜひ、それを楽しみながら読んでいただきたい。それには『第十回関西府県連合共進会記念写真帖』を大いに利用した。ただし、写真は一世紀以上も前に撮影されたもので、その鮮明度はそれほど高くない。また、説明の都合上、重複している写真が数枚ある。

まえがき  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  iii

明治時代における名古屋の殖産興業  ・・・・・・・・・・  1

明治43年にあわせ各種施設建造 ・・・・・・・・・・・・  4

10回関西府県連合共進会開催への道のり ・・・・・・・  8

10回関西府県連合共進会の開催時期 ・・・・・・・・・ 14

競って参加した多数の府県  ・・・・・・・・・・・・・・ 22

共進会で勝負に出た男  ・・・・・・・・・・・・・・・・ 27

10万坪の会場内に多種多様な施設 全景 庭園・・・・・・・・・・・ 29

会場内施設・正門  正門や広告塔・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33

会場内施設・噴水塔  ここをクリック・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36

会場内施設・奏楽堂  ここをクリック・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38

会場内施設・工産館、農産館 機械館 蚕糸館・・・・・・・・・・・・・ 41

会場内施設・特許館  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 50

会場内施設・林産館  台湾館・・・・・・・・・・・・・・・・・ 54

会場内施設・電気館  ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57

余興街施設・旅順海戦館  ・・・・・・・・・・・・・・・ 58

余興街施設・不思議館 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 68

会場内施設・演舞場  舞踏・・・・・・・・・・・・・・・・・ 74

会場内施設・貴賓館 ここをクリック ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 77

会場内施設・ビヤホール  ・・・・・・・・・・・・・・・ 80

会場外施設・名古屋城を模した愛知県売店  ここをクリック・・・・・・・ 82

月夜に「名古屋が大火事だ」  ここをクリック・・・・・・・・・・・・・ 90

名古屋人は仮装が好きですか?  ・・・・・・・・・・・・ 93

あとがき  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  99



 

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